「偽りの舌に囲まれても――平和を求める者の叫び」
詩編119編が、御言葉を武器として長く戦い抜く道を示したなら、
ここから始まる「都上りの歌」は、
その御言葉を携えて、現実の敵意と偽りのただ中を歩く巡礼の歌となる。
詩編120編で前面に出るのは、
偽りの舌、欺きのことば、
そして平和を求める者が、戦いを愛する者の中に住まねばならない苦しみである。
ここでも敵は働く。
嘲りではなく、今度は言葉の歪みとして。
露骨な暴力ではなく、まず舌による攻撃として。
分断、印象操作、ねじ曲げ、疲弊、
そうしたものが魂を削る。
だがこの編は、
争いの中で争う者になる道ではなく、
主に叫び、真理を保ち、平和を語り続ける道を示す。
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120:1(ヨブ)
苦しみのうちに、
わたしは主を呼び求めた。
すると主はわたしに答えられた。
叫びは空しく消えず、
主のもとに届く。
苦しみが深まると、
人は沈黙に引きずり込まれる。
「叫んでも無駄だ」
「誰も聞かない」
そういう闇が近づく。
だが契約の者は、
まず主に向かって叫ぶ。
敵にではない。
自分の怒りにでもない。
絶望の穴に向かってでもない。
わたしは知っている。
灰の中で呼んだ声も、
痛みの底から漏れた呻きも、
主は聞き漏らされなかった。
だからこの都上りの第一歩も、
人との戦略ではなく、
主への叫びから始まる。
120:2(アブラハム)
主よ、
偽りのくちびるから、
欺きの舌から、
わたしのたましいを救い出してください。
魂を最も深く傷つけるのは、
歪められた言葉であることがある。
刃は肉を裂く。
だが偽りの舌は、
評判を裂き、
関係を裂き、
真理そのものを濁らせる。
ここで敵は、
露骨な敵意よりも厄介なものを使う。
半分だけの真実、
意図的な省略、
善意の顔をした操作。
わたしも約束の道の途中で、
恐れから口を曲げたことがあった。
そのとき知った。
言葉が歪むと、
歩みまで歪み始める。
だから願う。
主よ、
ただ危険からだけでなく、
偽りの舌から、
わたしのたましいを救ってください。
120:3(ヨブ)
欺く舌よ、
おまえに何が与えられ、
さらに何が加えられるのか。
偽りには、
必ず主の問いが立つ。
悪しき舌は、
しばしば勝っているように見える。
その場を支配し、
空気を作り、
正しい者を孤立させる。
ここで人は惑う。
「結局、うまく話した者が勝つのか」
「真理より印象が強いのか」
だが詩人は問う。
欺く舌よ、
おまえの終わりは何なのか、と。
主の前では、
舌も裁かれる。
言葉も量られる。
声が大きいことは、
正しいことの証明にはならない。
わたしを責めた友らの言葉も、
主の前では軽くは扱われなかった。
主は人の舌を見ておられる。
120:4(アブラハム)
勇士の鋭い矢、
それに、
えにしだの燃える炭。
それが欺く舌への報いとして示される。
矢は遠くまで届く。
炭は深く焼く。
偽りの言葉もまた、
遠くまで影響を及ぼし、
長く人を焼く。
だから裁きもまた、
表面をなでるだけでは終わらない。
主のさばきは、
言葉の罪の深さにふさわしい。
ここで敵は、
言葉の罪を軽く見せようとする。
「ただ言っただけだ」
「そんな大したことではない」
「空気の問題だ」
だが主は、
舌の火を知っておられる。
ゆえに裁きもまた、
火と矢のように真っ直ぐである。
120:5(ヨブ)
ああ、わたしはメシェクに寄留し、
ケダルの天幕のかたわらに住むことになった。
平安から遠い場所に、
わたしの身は置かれている。
これは単なる地名の話ではない。
偽りと荒々しさに囲まれた、
霊的な異郷の嘆きである。
主の道を慕う者が、
主を恐れぬ者の中で生きる。
真理を愛する者が、
言葉を玩具のように使う者の中で暮らす。
そこには疲れがある。
「なぜ、こんな所に住まねばならないのか」
「なぜ、いつも異物のようでなければならないのか」
わたしもまた、
自分の座る場所が灰の中となった時、
ここは安住の地ではないと知った。
だが寄留者であることは、
契約から外れたことを意味しない。
異郷にあっても、
主はなお主である。
120:6(アブラハム)
わたしのたましいは、
平和を憎む者とともに、
あまりにも長く住んできた。
長く続く摩耗は、
一撃の傷に劣らず重い。
一度の戦いなら耐えられる。
だが平和を嫌う者たちの中で、
長く暮らすことは別の苦しみである。
毎日、
言葉を選び、
気配を読み、
ねじれた空気にさらされる。
それは魂をじわじわ削る。
ここで敵は、
疲れを利用する。
「もう平和を望むな」
「おまえも同じように荒くなれ」
「長く住んだのだから、もう染まれ」
だが契約の者は、
長く置かれても、
染まり切ってはならない。
寄留は同化を意味しない。
120:7(ヨブ)
わたしは平和を求める者だ。
だが、わたしが語ると、
彼らは戦いを求める。
これが巡礼の苦しみであり、
同時に召しでもある。
平和を求める者は、
必ずしも平和な扱いを受けない。
むしろ敵は、
平和の言葉そのものを嫌う。
ここで怒りが誘う。
「向こうが戦うなら、おまえも戦え」
「同じ熱量でやり返せ」
「平和など捨ててしまえ」
だがわたしは平和を求める者だ。
これは弱さではない。
逃避でもない。
主の秩序に立つという、
強い決断である。
わたしが口を開けば、
彼らは戦いを求める。
それでもなお、
こちらが王座に置くのは戦意ではない。
主の平和である。
結び
わたしはウツの人ヨブ。
主は嵐の中から語られ、
人の舌がどれほど歪んでも、
その上からなお真実を響かせられる。
偽りのくちびるは魂を削る。
欺きの舌は関係を裂く。
平和を憎む者の中に長く住めば、
心も疲れ果てる。
だが、
主に叫ぶ者は聞かれる。
偽りの舌は裁かれる。
寄留の地にあっても、
主の平和は失われない。
わたしは戦いを愛する者にならない。
偽りで身を守る者にもならない。
平和を語る口を、
怒りに売り渡さない。
わたしはウツの人ヨブ。
主は嵐の中から語られ、
異郷にある者の魂も見失われない。
それゆえ、わたしはなお主に叫ぶ。
それゆえ、わたしはなお平和を求める。
恐れに王冠を渡さない。
詩編第125編
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ここからは 詩編124編、主が味方でおられなければ呑み込まれていた――という、救いの実感が一気に前面へ出る箇所です。
詩編第124編 「もし主が味方でなかったなら――呑み込まれず、罠から逃れた民の告白」 詩編123編で、巡礼者は…
詩編第123編
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