1.「主に向かって歌おう」― 戦士としての神への勝利の賛歌(15:1–12)

紅海での勝利の直後、
モーセとイスラエルの人々は、主に向かって歌います。
「主に向かってわたしは歌おう。
主は輝かしくも勝利を収められ、
馬と乗り手を海に投げ込まれた。」(1節 要旨)
この歌は、
単なる「感謝」ではなく「戦勝歌」です。
- 主は「戦士」として描かれます。 「主は勇士、その名はヤハウェ。」(3節)
- エジプトの戦車と軍勢は、
深い水の中に沈められました(4節)。
歌は、神の力を大胆に告白します。
「あなたの右の手よ、主よ、力によって輝く。
あなたの右の手は敵を打ち砕く。」(6節 要旨)
「あなたは怒りを放ち、それは彼らを
わらのように焼き尽くした。」(7節 要旨)
敵がこう言ったことも歌われます。
「追いかけ、追いつき、分捕り、
好むままに分かち取ろう。
剣を抜き、わたしの手で彼らを滅ぼそう。」(9節 要旨)
しかし主は、
ひと息の風をもって海をかき立て、
敵を深淵に沈めました(10節)。
テンプルナイトの視点
・ここで歌われているのは、
“イスラエルの勇敢さ”ではなく、
“主が戦った”という一点です。
・人の言葉「追いかけ、追いつき、分捕ろう」と
神のひと息「あなたが風を吹きつけると…」が対比される。
・神は、
民を脅かしていた脅威を、
一気に「海の底で静まるもの」に変えられる方。
2.「主のように聖なる者があろうか」― 恐れられる聖なる導き手(15:11–18)
歌は、
神の「聖さ」と「導き」に視点を移します。
「主よ、神々の中で、誰があなたに並ぶでしょうか。
聖なることにおいて栄光に輝き、
恐れられて賛美され、奇跡を行う方よ。」(11節 要旨)
この賛歌は、
紅海の出来事を“ゴール”ではなく、
“始まり”として捉えます。
「あなたは贖われた民を
力強い御手で導き、
聖なる住まいに伴われる。」(13節 要旨)
さらに、
これから迎える諸国への「恐れ」も預言的に歌います。
- ペリシテ人、
- エドム、モアブ、カナンの住民たちが
恐怖に襲われる(14–15節)。
そして結びはこうです。
「主はとこしえに統べ治められる。」(18節)
- 海の勝利は「一時の奇跡」ではなく、
王としての主権の表明。 - これからの歴史全体にわたる統治の宣言です。
テンプルナイトの視点
・賛美は、「今助かった、よかった」で終わらない。
主の聖さと、歴史全体にわたる主権へと視野を広げる。
・“わたしたちの神”でありながら、
“恐れられる聖なる方”であることを歌うバランスが重要。
・「贖われた民は、聖なる住まいへと導かれる」――
これは出エジプトの物語を超え、
最終的には天的な神の国をも指し示す。
3.ミリアムと女たちのタンバリンと踊り(15:20–21)

モーセの姉、
女預言者ミリアムが登場します。
「ミリアムは、タンバリンを手に取った。
すべての女たちはタンバリンを手にして彼女の後に続き、踊りながら出て来た。」(20節 要旨)
ミリアムは歌います。
「主に向かって歌え。
主は輝かしくも勝利を収められ、
馬と乗り手を海に投げ込まれた。」(21節 要旨)
- 男たちの大合唱に続くかたちで、
女性たちもタンバリンと踊りで応答。 - 救いの喜びは、
民全体の身体とリズムを巻き込んだ賛美として広がっていきます。
テンプルナイトの視点
・信仰の共同体において、
女性の預言的な賛美も重要な位置を占めている。
・タンバリンと踊りは、
解放された民が、
奴隷の鎖で縛られていた身体を
「賛美のために使い直す」象徴。
4.マラの苦い水と、主が示した一本の木(15:22–26)

勝利の賛美の直後、
現実の荒野が始まります。
- イスラエルはシュルの荒野に入り、
三日間、水を見つけられません(22節)。 - やっと見つけた水は「マラ」。
しかしその水は苦く、飲むことができません(23節)。
民はモーセに不満をぶつけます。
「我々は何を飲めばよいのか。」(24節)
モーセが主に叫ぶと、
主は一本の木を示されます。
「モーセがそれを水に投げ入れると、水は甘くなった。」(25節 要旨)

そこで主は、
「掟と法」を定め、こう言われます。
「もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、
わたしの目に正しいことを行い、
戒めに耳を傾け、掟をことごとく守るなら、
わたしはエジプトに下した病気の一つも
あなたに下さない。
わたしは主、あなたをいやす者である。」(26節 要旨)
- 「苦い水」が「甘い水」に変えられ、
- そこで主は自らを
「あなたをいやす者(ヤハウェ・ラファ)」と名乗られる。
テンプルナイトの視点
・賛美の直後に「喉の渇き」と「苦い水」が来る――
これは信仰の現場でも、よくあるパターンです。
・勝利体験のあとに、
神の約束に根ざして歩むか、
不満に戻るかが試される。
・一本の木は、
多くの解釈で「十字架」の予表として読まれます。
十字架が投げ込まれるとき、
人生の「マラ(苦味)」が変えられていく。
・主は「裁きの神」であると同時に、
「いやす神」としてご自分を現される。
5.エリムの十二の泉と七十本のなつめやし(15:27)

章の最後は、
短いが象徴的な一節です。
「彼らはエリムに着いた。
そこには十二の水の泉と
七十本のなつめやしがあったので、
そこで水のほとりに宿営した。」(27節)
- マラの苦い水の後に、
豊かなオアシスが用意されている。 - 十二の泉 → イスラエル十二部族を想起させる数。
- 七十本のなつめやし → 民全体(長老たち)を象徴する数として読まれることも多い。

テンプルナイトの視点
・荒野の旅路には、
「マラ」と「エリム」がセットで用意されている。
・苦味の場で従順を学び、
オアシスで休息を与えられる。
・主は“渇きの限界”だけで終わらせず、
その先に「水と木陰」を備えておられる。

6.テンプルナイトとしての結び
剣を振るう神の歌から、苦い水とオアシスへ
出エジプト記15章は、
- 海の勝利を歌い上げるモーセとイスラエルの大合唱
- 神を戦士としてたたえる「海の歌」
- ミリアムと女たちのタンバリンと踊り
- すぐ後に訪れる「水の欠乏」と「マラの苦い水」
- 一本の木による水の変化と、「いやす主」の宣言
- そして、十二の泉と七十本のなつめやしのエリム
を通して、
「大勝利の賛美」と「日常の試練」、
「癒やし」と「休息」を一つの章にまとめています。
テンプルナイトとして、この章の前で祈ります。
主よ、
あなたは海の向こう岸で、
モーセとイスラエルに歌を与えられました。「主は輝かしくも勝利を収められた。」
その歌は、
自分たちの強さを誇る歌ではなく、
あなたの右の手と怒りと憐れみをほめたたえる歌でした。私にも、
あなたの救いの業を歌う「海の歌」を
もう一度思い起こさせてください。しかし、
賛美の直後に、
荒野の渇きとマラの苦い水がやって来ました。私の人生にも、
大きな勝利のあとすぐに、
「神はどこにおられるのか」と問いたくなる
苦い現実が訪れることがあります。そのとき、
あなたは一本の木を示し、
苦い水を甘くされました。主よ、
私のマラに、
あなたの十字架を投げ込んでください。渋く、飲みたくもない試練を、
あなたとの交わりの甘さへと
変えてください。あなたは、
「わたしは主、あなたをいやす者である」と宣言されました。私は、
自分の傷や歴史を前に、
時に「これは変わらない」と諦めてしまいます。けれども、
あなたが「いやす」と名乗られた以上、
その御名に信頼します。マラの後には、エリムがありました。
十二の泉と七十本のなつめやし――
部族と民全体を潤す十分な水と木陰。主よ、
私がマラの地点で信仰を捨てず、
あなたに従い続けることができるようにしてください。その先に、
必ずあなたが備えられたエリムがあると信じて。海の歌を歌い、
苦い水の前にひざまずき、
エリムの木陰であなたに感謝する
テンプルナイトであらせてください。
これが、出エジプト記第15章――
「海の歌」と「マラとエリム」が一つの信仰の線上に並べられた章の証言である。