1.「彼らは信じないでしょう」― 不信の心に与えられる三つのしるし(4:1–9)
燃える柴の前で召命を受けたモーセは、なお不安を口にします。
「しかし、イスラエルの人々がわたしを信じず、
『主があなたに現れた』と言わないのではないでしょうか。」(4:1・要旨)
神は、その不安に対して「しるし」を三つ与えられます。

- 杖が蛇に、また杖に戻るしるし
- 手に持っている杖を地に投げると、それは蛇になる。
- モーセが恐れて逃げると、
主は「尾をつかめ」と命じる。 - 彼が尾をつかむと、それは再び杖に戻る。
- 手が重い皮膚病(“らい病”と訳される)となり、元に戻るしるし
- 胸に手を入れると、白く変わる。
- 再び入れると、元のとおりに戻る。
- ナイルの水が血に変わるしるし
- 川からくんだ水を地に注ぐと、地の上で血に変わる。
これらは単なる「マジック」ではなく、神学的なメッセージを帯びています。
- 杖=羊飼いの道具 → 支配と導きの象徴
- 「蛇」に変わることで、エジプトの権力・偶像を暗示し、
それを再び掌握する神の主権を示す。
- 「蛇」に変わることで、エジプトの権力・偶像を暗示し、
- 手のしるし=神が癒しも裁きも握っていること。
- ナイルの水=エジプトの命の源が「血(さばき)」に変わる。
テンプルナイトの視点
・召命を受ける者の「彼らは信じないのでは?」という不安に、
神はしるしをもって応答される。
・しかし、しるしは目的ではなく、
「語られる御言葉」が本体であり、
しるしはそれを裏付ける証拠に過ぎない。
2.「わたしは口が重く、舌が重い」― 神に向かって“適性”を論じる(4:10–17)
なおモーセは抵抗を続けます。
「わたしは昔から、
口が達者ではありません。
口が重く、舌が重いのです。」(4:10・新共同訳要旨)
彼は、自分の「話す能力の欠如」を理由に、
召命から逃れようとします。
それに対して、主は厳粛に答えられます。
「口を人に与えたのはだれか。
耳が聞こえるようにし、
口が利けるようにし、
目が見えるようにするのはだれか。
それはこのわたし、主ではないか。今行きなさい。
わたしはあなたの口と共にあり、
あなたが語るべきことを教える。」(4:11–12・要旨)
しかしモーセはなおも言います。
「どうか、あなたのお望みの人を遣わしてください。」(4:13)
これは事実上、
「わたしではない誰かにしてください」
という拒否です。
ここで、主の怒りが燃え上がります(4:14)。
しかし、怒りの中でも主は憐れみを示されます。
- 兄アロンを「口」として与える。
- モーセは「神のように」アロンに語り、
- アロンが民に語る。

テンプルナイトの視点
・モーセは「自分の弱さ」を盾に、神の召命を退けようとした。
・神は「誰が口を造ったか」を問うことで、
召命の根拠が“能力”ではなく“創造主の主権”にあることを示される。
・それでもなお、神は弱い器に寄り添い、
アロンという補いを与えられる。
・しかし、後にアロンは「金の子牛」を造る人物にもなる――
“人に頼ること”の危うさも含まれている。
3.帰還の準備 ― 家族を連れてエジプトへ(4:18–23)
モーセは義父エトロのもとに戻り、
「エジプトにいる同胞の安否を見てきたい」と申し出ます。
エトロは「安らかに行け」と送り出します。
主はモーセに、
エジプトにいるすべての者が
すでに彼を殺そうとしてはいないことを告げ、
行くよう促されます。
モーセは妻ツィポラと息子たちをろばに乗せ、
神の杖を手に取ってエジプトへ向かいます。
主は道中で、
モーセに再度使命の内容を確かめさせます(4:21–23)。
- エジプトで行う不思議な業
- しかしファラオの心がかたくなであること
- 「イスラエルはわたしの長子」
- 「わたしの子を行かせよ。
もし拒むなら、お前の長子を殺す」との厳しい宣言
ここで、「長子」のテーマが出てきます。
やがて第十の災いでクライマックスを迎える伏線です。
4.「血の花婿」― 謎めいた割礼の出来事(4:24–26)
ここは非常に難解な箇所ですが、
新共同訳に基づいて流れを押さえます。
宿泊地でのこと。
主がモーセに臨み、「彼を殺そうとされた」と記されます(4:24)。
すると、妻ツィポラが
- 彼らの息子に割礼を施し、
- その包皮をモーセの足に触れさせ、
- 「あなたはわたしにとって血の花婿です」と言います。
すると、主はモーセを放されます。
詳細な神学的解釈は多くの議論がありますが、
少なくとも次の点は明らかです。
- アブラハムの子孫にとって「割礼」は契約のしるしであり、
神の民であることの「印」だった。 - モーセの家族の中で、このしるしがなおざりにされていた。
- 解放の器として立つ前に、
自分の家が契約の秩序に立ち返らなければならなかった。
テンプルナイトの視点
・神は、外の敵と戦わせる前に、
まず「自分の家の土台」を問われる。
・モーセの召命は高いが、その分、
神の取り扱いも深く厳しい。
・ツィポラはこの瞬間、
夫と神との間に立ち、
血によって危機を覆う役割を果たした。
これは、やがて「子羊の血」による覆いの予表とも読める。
5.アロンとの再会と、長老たちの信仰(4:27–31)
主はアロンにも語り、
彼を荒れ野でモーセに会いに行かせます。
ホレブの山で二人は会い、
モーセは見せるべきしるしと
神の語られた言葉をすべてアロンに伝えます。
その後、二人はエジプトに戻り、
イスラエルの長老たちを集めます。
- アロンが、主がモーセに語られたすべての言葉を話す。
- モーセが民の前でしるしを行う。
「民はそれを信じた。
主がイスラエルの子らを顧み、
その苦しみをご覧になったことを知ると、
彼らはひざまずき、伏して礼拝した。」(4:31・要旨)

ここで、「第一の目標」は達成されます。
- モーセ自身が不安を抱いた「民が信じるか」という問題
- それに対して、神の言葉としるしによって、民は信じ、礼拝へ導かれた。
しかし、この信仰は試されます。
やがて5章以降で、
ファラオの抵抗と労役の増加を通して揺さぶられていきます。
テンプルナイトの視点
・信仰の始まりは、「神が私たちを顧みてくださった」という実感。
・状況がすぐに変わらなくても、
「神が見ておられる」ことを知るだけで、
人はひざまずき礼拝することができる。
・モーセの召命の物語は、
「民が信じ始めた」この場面から、
本格的な対決へと進んでいく。

6.テンプルナイトとしての結び
「なおためらうモーセ」と「なお共に行かれる主」
出エジプト記4章は、
- 「彼らは信じない」という恐れに与えられた三つのしるし
- 「口が重い」という自己否定と、
「口を造ったのはだれか」と問う神の主権 - アロンを与えられるという憐れみと、
同時に「怒り」を燃やされる主の義 - 「血の花婿」と呼ばれるほどの、
契約のしるしをめぐる厳しい取り扱い - そして、長老たちが信じ、ひざまずいて礼拝するまでのプロセス
を通して、
「なおためらう器」と「なお共に行かれる神」の姿を映し出しています。
テンプルナイトとして、この章の前で祈ります。
主よ、
モーセは、
自分の言葉の足りなさ、能力のなさを理由に、
何度もあなたの召しを退けようとしました。私も同じです。
「わたしは口が重い」
「わたしは足りない」
「もっとふさわしい人がいるはずだ」そう言って、
あなたの召しから逃れようとすることがどれほど多いでしょうか。しかしあなたは言われます。
「口を人に与えたのはだれか。
耳を、目を造ったのはだれか。」私の弱さや不得手は、
召命を拒む理由ではなく、
あなたの主権を学ぶ場であることを教えてください。あなたは怒りを燃やされるほど真剣に、
モーセをこの使命へと招かれました。それでも、
彼の弱さに寄り添い、アロンを与え、
しるしを授け、
一歩一歩、前へ進ませてくださいます。「血の花婿」と呼ばれるほどの、
契約の血の重さも、
私は軽く扱ってしまいます。どうか、
キリストの血によって結ばれた新しい契約を、
命がけで守る民であらせてください。長老たちは、
「主が自分たちを顧みてくださった」と知ったとき、
ひざまずき伏して礼拝しました。私も、
状況がすべて解決していなくても、「主が見ておられる」
「主が顧みてくださる」その一点を根拠に、
ひざまずき礼拝するテンプルナイトでありたいと願います。
これが、出エジプト記第4章――
**「なおためらうモーセと、なお共に行かれる主」**の証言である。